この前の土日。
大マメと遊んできました( ̄∀ ̄)
数日前に大マメが、「日曜に休みが取れた」と連絡をしてきて
急遽、ちょっとしたイベントを企画したのです。
うちに宿泊することと、日曜の目的地と。それだけ連絡しあい。
前日になってさえも連絡を取らず(笑)
とうの当日になってから、マメが仕事の合間に
「今日、泊まりにきはんにゃっけー?」と。
いつもながらにゆるいやり取りに始まった土日でした。
時間も大まかに指定した待ち合わせも、いつもながら。
こんなの、携帯のない時代には通用しないですね^^;
待ち合わせてから、遅めの昼食を大戸屋さんで。
ユニクロなどのお店を数件回ってから
「ドーナツ屋が出来たんよー。
はらドーナツ閉めはったんやけどー。」
と言って、ドーナツ屋(前回ブログで書いた2店)に行ったら
時間も時間だったので、売り切れで買えず^^;
ケタケタ笑いながら
「あんたと喋ってると、ほんま喉渇くわー」と
水分補給のためにコンビニ入ったはいいのですが
マメが勧めたもので、その商品を探すハメに。
それが冬季限定のせいか、どこにも見当たらない(笑)
それが悔しくて悔しくて
行く先々のコンビニをのぞくのですが
やっぱり出会えない(笑)
ドーナツに続き、残念なオーラが全開なマメたちwww
そうやってコンビニをのぞきながら、徒歩にてマメの家へと移動。
バスで30分以上かかる距離ですが、紅茶の悔しさと冬の気持ち良さから
徒歩を選ぶマメたち。
マメの家の手前にて、なか卯の小うどんを食べたのが22時頃。
そのまま銭湯に行き、1時間くらいボケーと過ごしました。
やっぱり、銭湯のお湯っていいわー( ̄∀ ̄)
風呂上りにペプシを番台さんから購入して
頭にタオル巻いたまま、暗い住宅街を帰宅w
狭いベットの中でまたまたケタケタ笑いながら
寝返りもうてない狭さの中、遅めの就寝w
日曜日。
ワンピースを見終えてから、朝イチで焼いたブラウニーと
朝イチで握ったおにぎりを3つずつ持って。
お茶を保温マグに入れて。
さぁて。
計画実行でございます。
というわけで。
富士登山ではありませんが・・・・・
小さいオッサンの捜索ではありませんが。
(大マメ製作の足跡。やたらと作って盛り上がっていたw)
京都の鬼門でもある比叡山に登ってきました。
比叡山は京都と滋賀の県境に位置し。
京都の東北にあるので、鬼門の役目もしています。
世界遺産のある延暦寺が山の中にあります。
滋賀側の方は、ほとんど延暦寺w
歴史は古く、いろんな人がこの比叡を登り、滋賀や京都に行き来していました。
マメからすれば、地元の山。
小学校の校歌(ほのぼのあくる ひんがしの みそらにたかき ひえいのみね・・・)に
出てきますし、学校行事とはいえ、毎年登山させられていた山。
2時間くらいで登れる、そう大きくない山。
今回は、もっともメジャーな登山口から上ります。
きらら坂の登り口から登ると、こんな道。
細い。狭い。
巨大鉄球がゴロゴロ転げてきそうな道(笑)
きらら坂。
雲母坂と書いてきらら坂。
土曜の夜に行った銭湯はきらら湯( ̄∀ ̄)
比叡山の周囲は、花崗岩がゴロゴロ。
その砕けた花崗岩の中に雲母がありキラキラ光った・・・そこから
きらら坂とつけられたとかどーとか。
古くからの古道ですので、いろんな人がここを通ってはるようです。
休憩せずに、ダラダラ、歩く。
この日は、寒波の合間で、とても暖かでした。
水飲対陣跡付近のなだらかな道。尾根かな?
それにしても、ブナ枯れが本当に目立った・・・。
そして山ガールも目立った・・・。
浄刹結界跡とな。
気になって調べてみたら、
延暦寺の敷地の関係のアレコレだとか。
てくてく歩くこと数時間。
こんなところでオニギリ食べました(笑)
千種忠顕さんとは、鎌倉時代末期から南北朝時代の人。
延元の乱のときに、水飲対陣跡のとこで陣を張り
そして戦死した人。
太平記の頃の時代ですね。
アンテナ塔付近。
穏やかな天気の日曜とあって、人が多いこと。
ほんに、登山ブームなのですねぇ。
マウンテンなんかで来てはるツワモノさんもいはりましたよ。
ケーブルカーの駅。
冬期の間は、ケーブルカーもロープウェイも運休してます。
ただし、坂本のケーブルカーは運行しているみたい。
そういえば、ケーブルもロープウェイも乗ったことないや。
比叡山は歩くものと、変な概念があります(笑)
運休していても、駅のトイレは使えてありがたかったです。
あと、自販機も稼働していて
ホットの缶コーヒーがありがたかった!!
山頂付近は、20センチくらいの積雪でした。
これがねぇ、滑って滑ってwww
何回か転びましたさー。
でも、雪だと足跡が鮮明に残るので
動物の獣道なんかが、よくわかって面白いwww
今は閉鎖されているスキー場横の石碑。
四方にこの文字。
さすがに読めないわーww
上から見下ろした、スキー場跡。
スキー場って行っても、人工で。
それもとてもとても小規模のとこでした。
マメが小学校の頃は、ギリギリ運営してはったかなぁ?
そこの頃からさびれてましたけどね^^;
大マメいわく、こんなんリフトいらんやろ~とのこと。
うん。それは言えるかも。
ってか、滑るのも一瞬だと思うよ・・・^^;
しばらく山頂付近で、雪遊びしてから
下山したとさwww
帰りは、水飲対陣跡の分岐点から、赤山禅院の方の登り口へのルートに。
道中、土砂崩れっぽいのか多々ありました^^;
上の方でも書きましたが
比叡山は花崗岩の山。
花崗岩って、本当にモロイんですね。
マメの家の方にも、この地質は続いていて。
家を建て直すとき、地盤を固めるの大変でした。
サラサラの白川砂ですもん(笑)
この白川砂。
今は規制もあって、簡単に取れないんだっけ??
白川砂の上に住んでるのに、あまり知らない^^;
昔は、きらら坂の横を流れる音羽川上流でも
石切り場があって、石共々、生産が盛んでした。
今、簡単に手に入る白川砂は、他地域の花崗岩を砕いたものでしょう。
本当の白川砂は、この地域あたりのものです。
京都の寺院のお庭には必須の砂です。
枯山水などで敷き詰められた白川砂は、太陽の光を反射し
照明的な役割もはたしています。
その反射光で、光を室内に取り入れているんです。
白川砂の反射率は、雪と同じだそうです。
下山してから、京都市長選の投票に行き。
そのまま歩いて、今度は高野のなか卯にて、親子丼を。
どんだけ、なか卯が好きやねん?って笑いながら食べてましたわw
高野でバスに乗り、河原町で降りてスタバでいっぷく。
その後、大マメを見送りまして。
マメは彼さんが迎えに行くよー、と言ってくれてたので
そのまま河原町で待とうとも思ったのですが。
なんとなく、徒歩にて北上。
そのまま歩いて、結局下賀茂神社の方まで
河原町通りをてくてく歩いて行きましたわ。
いやー。
本当に歩いたwww
気持ちよく、思いっきり歩いたwww
迎えに来た彼さんは、半分呆れてはりましたわ(笑)
「いや。マメ子さんがよく歩く子って知ってるけどね。
うん。
あなたね。
今日、山、登ったんでしょ?
それで、またこんだけ歩くの?
どんだけ歩き足りてないの?」
とwwww
「昨日は、河原町から歩いて帰ったヨー( ̄∀ ̄)」
と更に言うと。
「信じられへん・・・」と(笑)
ひとつだけ、残念だったのは
この2日間、万歩計をつけてなかったことです。
ああ、マメは何歩歩いてたんだろうwww
その後、きらら坂のことを調べるついでに
そのほかの古道についても調べていたら。
いろんなことが出てきまして。
たとえば
白鳥越えと呼ばれる古道を行くと
比叡山の横のテンコ山に着き
そこには古い山城跡があると。
この山城とは、浅井長政の小谷城のような立派なものでなく
戦とかで使われた砦のようなものらしい。
その城を築いたのが、幼馴染のご先祖だったとか。
あるいは、浅井氏と朝倉氏が志賀の陣で築いたとか。
昔、近所のおじいちゃんが、
「あそこのてっぺんから、昔、織田信長が攻めてきたんやー」
とかいう話を聞いたことがありましたっけ。
しかしまぁ。
古いなぁ、うちの地区(笑)
理想の男性について、大マメと話す。
鬼平犯科帳の長谷川平蔵だったり。
ラピュタのパズーであったり。
もののけのアシタカであったり。
カリオストロのルパンだったり。
満場一致したのが、暴れん坊将軍(笑)
小学校の幼い頃に、白馬に乗る若い松平健見たら、
そらー惚れるでーwww と(笑)
その後、少し、間をおいて。
アタシラ ナンカ オカシナイカ?
まぁ、今に始まったことではあるまい。
ちなみにマメは、ナウシカのユパ様も好きだww